A Memory To Be Erased

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小6最後の運動会、組体操

※これはAIによる自動生成の記事です。

目次

BGM

私の「消したい記憶」に刻まれた理不尽なペア

小学6年生。
それは、 「小学生最後の」 という冠が何にでもつく、特別な1年間でした。
卒業という輝かしいゴールに向かって走り出す私たちにとって、そのハイライトの一つが、秋風が吹き始める頃に開催される 「最後の運動会」 です。
最高学年としての責任とプライドをかけて臨む運動会。
そのメインイベント、フィナーレを飾るのは、決まって私たち6年生による組体操でした。

組体操は、単なる体力勝負ではありません。
数十人の身体が幾重にも組み合わさり、一つの巨大な立体物(ピラミッドやタワー、お城など)を創り上げる芸術であり、信頼と協調性の証です。
それは、誰もが「小学生最後の、最高の思い出」になると信じて疑わない、年長組にうってつけの、非常に難易度の高い種目でした。

私たち一人ひとりが、卒業を控えた者としての誇りや想いを込めて、真剣に練習に取り組む―。
そうして完成した大技は、卒業生として、一生ものの記憶になることは必至でした。

私自身も、最高学年として組体操を成功させることに、大きな期待と意欲を抱いていました。
きっと、この努力と達成感は、将来の自分を支える柱になるだろうと。

しかし、この希望に満ちたはずの舞台で、私は人生で初めて「理不尽」という名の壁にぶつかり、その結果、私は運動会当日、ズル休みをするという、後悔と怒りに満ちた選択をすることになります。
その原因となったのは、私が 「消したい記憶の一つ」 として今も鮮明に覚えている、あの 「ペア決め」と、組まされたJ という存在でした。

欠席裁判で決まった、地獄のペアリング

組体操の演目の中には、全体で大きな立体物を作る大技のほかに、2人や3人で高度なバランス技を見せるパートもありました。
私はそのうちの 「2人組」 のパートに選ばれました。

そして、運命のペア決め。
通常であれば、体格差や信頼関係、技の適性などを考慮して決められるべきものです。
しかし、私の場合は違いました。
それは、まさに 「欠席裁判」 とも言うべき、理不尽で一方的な決定でした。

私は、当時クラスで最も——もしかしたら学年で最も——嫌われているJと組むことになったのです。

なぜ、どうして?
誰の決定で?

今思い出しても、その理由は全く分かりません。
ただ、 誰かが「あいつと組ませよう」と、悪意にも似た軽薄さで決めた としか思えない組み合わせでした。

Jという人物は、クラスの協調性を乱し、常に自分の利益を優先し、そして何より他者への配慮に欠ける言動で、周囲から孤立していた存在でした。
そんなJと、小学生最後の晴れ舞台で、 身体と身体を密着させ、信頼関係が不可欠な「組体操」 という種目を組まされる。
この時点で、私の運動会への熱意は、冷水を浴びせられたように急速に冷え込み始めました。

10kgの重さと、逆転した「役割」へのこだわり

組体操のペア技の原則は、 「より軽い者が上に乗る」 こと。
これは安全と美しさのために絶対的な鉄則です。

私とJの体格を比べれば、体重はJの方が私よりも10kg以上も重い。
本来なら、私が「乗り手」、Jが「土台」になるか、もしくは、私が土台になるとしても、Jは乗り手としての負担を減らすため最大限協力するべきでした。
しかし、Jはここでも 「わがまま」 を発動します。
彼は私よりも背が小さいという、組体操の体重配分の原則とは無関係な理由を盾に、「軽い方の役」、つまり 「乗り手」 を強硬に主張したのです。

結果、私は 「本来の原則に逆行し、自分より10kg以上重いJを、彼が望んだ『乗り手』として支える土台」 という、極めて理不尽で過酷な役割を押し付けられることになりました。

練習で爆発した怒り:ヘラヘラ笑う無責任なJ

こうして、地獄のペア練習が始まりました。
私は、ただでさえ重いJを、彼が望んだ「乗り手」として支えなければなりません。
しかも、彼は私よりも10kg以上重い。

「土台」は、身体の全神経を集中させ、力を込め、動かない岩のように耐える必要があります。
対して「乗り手」は、土台の力を信じ、最小限の力で美しくバランスをとる役割です。
乗り手の方が、体力的な負担は圧倒的に少ないのです。
しかし、Jの態度は最悪でした。
彼は、私が身体の底から力を振り絞り、汗だくになりながら支えている最中も、一貫して無責任な態度を取り続けました。

  • 集中力の欠如:少しでもバランスが崩れると、私の努力を労うどころか、すぐにヘラヘラと笑い、「あー、無理無理!」とすぐに諦めてしまう。
  • わがままな要求:自分が少しでも楽をしようと、私に対して「もっとこうして」「もっと低く」など、無茶な体勢を要求してくる。
  • 責任転嫁:失敗すれば、必ず「お前の支え方が悪いんだよ」と、一切の努力と体力を使っている私に責任をなすりつける。

私は、彼の重さと、彼の無責任さという、二重の重圧に耐えなければなりませんでした。

何故、私がこんなに嫌な奴の重荷を背負って、ヘラヘラ笑う顔を見上げなければならないんだ?

練習中、私の心は何度も何度も衝突し、怒りで爆発寸前でした。
私が力を振り絞って余計な体力を削られている横で、Jは少しも力を入れずにヘラヘラと笑っている。
その光景が、私の心の許容量を決定的に超えました。

当日、私が選んだ「逃避」という名の抵抗

運動会当日が近づくにつれ、私の心は決壊寸前でした。
本来であれば、最高学年として、最後の運動会への参加は、義務であり、誇りであるはずです。
しかし、私の頭の中を支配していたのは、 「Jを担ぎたくない」「あのヘラヘラ笑う顔を、必死の形相で支えたくない」 という、純粋な拒絶の感情だけでした。
卒業生としての「想い出話深いもの」になることは必至。
その通りです。
だからこそ、私にとってこの組体操は、「Jの重さと、理不尽さへの怒り」という、 「消したい想い出」 になることが確定していました。

真剣な努力と、最高の思い出を求めていた私にとって、Jの存在は、その全てを汚すノイズでしかなかったのです。
私は、考え抜いた末、運動会当日、休むという選択をしました。
小学生最後の記念すべき運動会を、私はJが理由でズル休みしたのです。

本当は、出たかった。
大勢の観客の前で、最高学年として立派に演技を披露したかった。
みんなと力を合わせ、一つの目標を達成したかった。
しかし、どうしても、ヘラヘラ笑っているJを、苦しい顔で担いで、彼と一緒に笑うことなど、私には到底出来ませんでした。
私は、その時、自分自身に強くレッテルを貼りました。

私は、なんて心が狭い人間なのだろう

あの時、大人のように「卒業のため」と割り切って、Jを担ぎきることができていれば、今頃、清々しい思い出として語ることができたかもしれない。
けれど、私の心は、あの理不尽と、彼の無責任な態度が生み出す怒りを受け入れることができなかった。

理不尽なペアを組まされ、大して体力も使わずヘラヘラ笑ってるあいつに、余計な体力を削られるのも、まっぴらゴメンだ

この感情は、単なるわがままではありませんでした。それは、真剣に努力する者への、理不尽な重荷の押し付けに対する、純粋な反抗だったのです。

あの時の怒りは、私にしか分からない

運動会を休んだことへの後悔は、今もあります。
あの時、友達と一緒に味わうはずだった達成感を、私は手放してしまいました。
ですが、あの時の怒りは、誰にも理解できない、私だけの感情です。
重い方を支える理不尽さ。
真剣にやっている隣でヘラヘラ笑う無責任さ。
そして、その全てを「小学生最後の運動会」という逃げ場のない舞台で強いられたこと。
この怒りは、真面目に生きようとする者が、不真面目な他者のために犠牲を強いられることへの、根源的な拒絶反応でした。
あの時、私は、自分の心の声を偽ることができませんでした。「無理して、嫌なことを嫌な奴のためにやる」ことを、本能的に拒否したのです。
今、大人になって振り返ると、あの「ズル休み」は、私にとって 「自己防衛」であり、「自分自身への正直さ」 を守るための、小さな抵抗だったのかもしれないと考えます。
あの経験は、私に 「理不尽に耐えることの無意味さ」と「嫌なものからは逃げていい」 という、ある種の教訓を与えてくれました。
あの怒り、あの不快感、そしてあの運動会を休んだ後悔の全てが、私の中に刻まれた 「消したい記憶」 です。
しかし同時に、それは、私が 自分の心を何よりも大切にする人間 であることを証明する、苦い証拠でもあるのです。
この理不尽な経験を、私は一生忘れることはないでしょう。
そして、この怒りは、私にしか分からない、私だけの正義として、心の奥底に大切にしまっておこうと思います。


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