日本語って本当に脆弱だと思いませんか
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日本語は難しい
日本語が難しい言語だと言われる所以ってさまざまなサイトで説明されているんだけど、私が難しいと思う点、、、、というか言語の能力として著しく弱い部分があると思っている。
それは
同音異義語・同訓異字語が多い点。
そりゃ国語の勉強していないだけだろ。字を知らないだけ。
と言う人もいるだろうけど、私が言いたいのは寧ろ逆で、字を知っているからこそどのシチュエーションの時にどの言葉を使うかを選ぶこと自体、言語としてコミュニケーション能力が低いと思うし思考の妨げになると思う。
あーうー
※お題のことを歌ってみただけ。
例えば、「あう」という言葉がある。
あうを変換したら
合う
会う
遭う
逢う
遇う
と候補にでてくる。合うを除いたら全部意味が一緒にも見える。
学生のときになまじ読み書きの練習をみっちりさせられているせいで読み方も書き方も知っているけど意味が分からないってことが多々ある。
大切な人とあう約束があるんだ。
こういうときのあうってどのあう使うの?って考えている時間がもう無駄だしコミュニケーション言語として脆弱だと言いたい。
ただ、例によってこんなこと言うと
いや、英語だって見てみろ、getにどれだけの意味があると思ってんだ。
と返ってくる。いや違う。
同訓異字のことを話しているのであって、getに「得る、される、なる、付ける」などの意味があるのとはわけが違う。
そもそもいちいちかな文字を漢字に変換しなくてはいけないって事自体英語とは考え方が根本的に違うと思う。
しゃべってる内容を字に起こすと更に覿面
続いて同音異義語はもっとたちが悪く、漢字変換をミスしたら意味が変わってしまう。耳から入る音感は同じなのに。
次の試合の作戦だが、センポウのセンポウはショセンセンポウに悟られているため、ここはドウヨウせずに一時的にショセンの作戦にイコウする。特にイジョウが見られなければイコウもドウヨウとする。イジョウ。解散。1
例えば、上の文章を翻訳ソフトで翻訳してもらっても絶対に期待する結果を得られない。
それならばと漢字変換してみたとして、どこか一箇所でも漢字の変換ミスしていたら、なおのこと翻訳ミスをする。
要するに書き手の意図が読み手に委ねられるケースが異常に多い気がするし、なんていうか先進国にもかかわらず、いい大人でさえも、さらにビジネスマンで良い役職に就いている人でさえも、満遍なく間違えているような気がする。
これを脆弱と言わずなんと言おうか。
Who would ever have thought we should not call this a “vulnerability”?
ま、そんなこんなで
三色丼がうまい。
そして日本語はやめられない。
- 1.念の為答え合わせ。「次の試合の作戦だが、先鋒の戦法は所詮先方に悟られているため、ここは動揺せずに一時的に初戦の作戦に移行する。特に異常が見られなければ以降も同様とする。以上。解散。」 ↩